早川の峠2/峠にまつわるエピソード 12の峠と暮らしのエピソード


●早川往還の笹走(ささばしり)集落と梨子(なしこ)集落の間には、荒金峠(あらかねとうげ)という難所があり、付近には今でも所々に土砂崩れの跡がある。他にも中山と夜子沢(よごさわ)の間の間遠峠、塩之上(しおのうえ)と京ヶ島(きょうがしま)の間の播磨沢など、難所は続く。

●そんな街道を行き来する人のためなのだろう、道沿いには様々な神仏が祀られている([8]早川往還)。稜線の静岡側は、日本三大崩れにも数えられる「大谷崩れ」と言う崩壊地で、はるか下まで見えてしまうのが少々恐ろしくもある([6]新窪乗越)。

●かつては農閑期になると、赤沢などの集落から、小さい子どもがおじいさんやおばあさんに連れられて湯治に行ったそうだ。静岡県の梅ヶ島温泉は、おねしょに効く温泉と言われている([10]安倍峠)。奈良田に遷居され、七不思議の伝説を残したとされる奈良王様こと孝謙天皇も、ドノコヤ峠を通ってやってきたと言われている([11]ドノコヤ峠)。

 

峠道は馬も歩いた。荷物の運搬や御用聞きをした、茂倉集落の馬方(うまかた)

●大正10年ごろ、田代川第一、第二発電所の建設が始まった。この建設資材を運び上げるための索道(さくどう)に使う重いワイヤーは、人力で背負い上げた。長いワイヤーを切らずに運ぶため、1人が何巻きかを背負い、次の人がまた何巻か、そのまた次の人は何巻きか…と、数珠つなぎになって運んだ。ということで、1人が転ぶと皆転んでしまう([4]伝付峠)。

●「足馴峠(あしならしとうげ)」と出頂の「茶屋」には昭和の初めまでお茶屋さんがあったそうだ。峠を越える人々が、45kg位の荷を背負ったらしい([12]足馴峠)。道のりだけでも大変なのに、これだけの荷を担いでいったとは・・・。

 

●買い出しの時は、重い荷物を背負って山道を歩くかなければいけない。十谷で買ったお酒は、茂倉(もぐら)集落に帰り着く頃には半分に減っていたこともあったとか。「酒でも飲まなければやってられない」ほど大変な道のりだったということだろうが、先人のタフさには驚嘆するばかりだ([1]十谷峠)。

●下山からやってきた花嫁行列が、途中で狐に化かされ、山の中で宴会をしていた、という言い伝えも残っている。かつては人間の領域と自然の領域とがせめぎあっていたのだろう([7]大道)。

12の峠を紹介【やまだらけ29〜40号】

コラム「はやかわのとうげみち」

農山村、場所を問わず地域には涙あり笑いありの物語が数多く存在するものだが、早川もほかでではない。
中でも、峠越えの生活に関するエピソードは、特に興味深い。その精神的なたくましさは、町に住む人々にどのように受け継がれているだろうか。

29号…[1]十谷峠30号…[2]所ノ沢峠31号…[3]身延往還32号…[4]伝付峠33号…[5]奈良田峠34号…[6]新窪乗越35号…[7]大道36号…[8]早川往還37号…[9]池の茶屋峠38号…[10]安倍峠39号…[11]ドノコヤ峠40号…[12]足馴峠

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