早川町森林組合の仕事
早川町は、僅かな集落と周囲の耕作地を除き、そのほとんどが森林である。林業で潤った時代もあったが、木材価格の低迷とともに林業は衰退し、価値のなくなった林には手が入らず荒れ放題だ。しかし国土保全や地球温暖化防止の観点から、日本の森林が見直され始めているのもまた確かである。
このように、時代が大きく変わる中、これからの早川町の森林はどうあるべきなのか、またどうしていくべきなのだろうか。
その答えを探すべく、今回は早川の林業を支える早川町森林組合に勤めて45年の長谷川空五(たかゆき)さんと、志を持ってここ10年の間に町外から早川町にやってきた現場職員の佐野さん、山田さん、加藤さん、石川さんに密着取材を試みた。
今の早川の林業の現場とともに、そこに携わる人たちが何を感じ、将来に向けて何を考えているのかをお伝えしたい。
山人インタビュー⑧
今回の取材でお世話になった現場職員のみなさんにお話を伺いました。
●森林組合で働くきっかけは?
佐野:10年ほど前、東京で普通のサラリーマンをしていた頃、新聞で海が汚れているという記事を読みました。それはつまり、山に手が入っていないから、川が汚れ、さらには海が汚れるということでした。林業の後継者不足も原因の一つということで、そこに自分が携わりたいと思いました。
●山仕事の醍醐味を教えてください。
加藤:山での作業は、簡単に見えても、実は難しく奥が深いです。少しずつですが確実に腕が上がります。でも、これで終わりというのがありません。そこが面白いです。
最初(植林)から最後(伐採)まで、一貫して関われる仕事というのもいいですね。
石川:間伐前と後の林の明るさやきれいさなどの差を見ると、達成感があります。
山田:その日そのときのベストなやり方をその状況に合わせて考えます。大変だけど、それを年々覚えていくことは楽しいです。
●危険な目にあったりもするのですか?
佐野:枯れた木を切り倒すと、下の木に当たって自分の方へ跳ね返ってくることがあります。それが急な斜面だったりすると、身動きが取りにくくさらに危険ですね。
加藤:一般の人の基準で危険なことを考えるときりがないけど、今現在ここにいる、ということは致命的な目にはあっていないということですね。
山田:熊らしいものと遭遇したりもしました。当時は霧で視界が悪かったので、はっきりとは見えなかったがすごく怖かったです。あとは石川君の切ってくる木が危ないです。たまにものすごく近くに倒してくるので、もしかしたらわざとやっているのかもしれません(冗談です)。
●これからの山に対する想い、環境に対する考えを聞かせてください。
佐野:獣害が騒がれていますけど、それは里山がなくなったことが原因の一つだと思います。昔は人が住む集落と動物が住む山の間に見通しのよい里山があって、里山があれば、人と動物はお互いを遠くから見ることができます。結果として、動物は集落まで寄って来ません。そういう里山の整備ができればいいですね。
山田:管理されていない山が多いことを、一般の人、特に若者に知ってもらいたいですね。一過性の興味で終わらず、継続して関心を持ってもらいたいです。
お疲れの中、ありがとうございました。早川の山は、みなさんの肩に掛かっています。大変なお仕事だと思いますが、今後とも頑張ってください!
はやかわのとうげみち5
奈良田越(ならだごえ)
早川町奈良田-奈良田越-井川
奈良田湖に注ぎ込む黒河内川南俣をさかのぼると、奈良田越の峠である。その先は静岡県の大井川上流域。
奈良田越は、交易・交流などに使っていたというよりは、豊富な自然資源を利用するための道と言ってよいだろう。
奈良田では、昭和20年代くらいまで焼畑を生業とし、農閑期に炭焼きや曲げ物作りなどの木工をして現金収入を得ていた。
木工職人は、下駄、おひつなどを作っていて、時には、奈良田越を越えて井川まで材料を取りに行ったという。
江戸時代にも、奈良田村の住人が尾根を越えて井川村の領分まで行って木を伐採していたらしく、井川村の役人からやめるよう手紙が来ている。
この峠道の周辺には焼畑もあり、毎年、農作業を始める春になると、集落の皆で道を整備したそうだ。
ほかにも、奈良田越を通って大井川へイワナを釣りに行ったとか、井川まで行って屋根の材料の天然カラマツを伐ったとかいう話を聞いた。
しかし、生活様式が変わって自然資源に依存しなくても暮らしが成り立つようになると、奈良田越の道も使われなくり、今はルートも正確にはわからなくなってしまった。