早川の電源開発の歴史
自然の中に脈々と流れている。川を、山をとっても力強いエネルギーをもって、ずっと昔から流れて続けている。目には見えないけれど、早川の端から端まで、縦横無尽に流れている。それは水。水力発電のための水だ。
改めて町の中を見てみると、いたるところに水力発電に関るものがあることに気付く。発電所や、山から下りてくる長いパイプ、ダム、山の中を走る送電線、発電のための水が流れる導水管。そして、目を凝らして地形図を見てみると、川も山も等高線もくねくねしているところに、山の中をまっすぐに進む線がある。発電所と発電所をつなぐこの線は、山の中を通る水力発電のための水の通り道を示しているのだ。
なんという大胆な仕掛けがあったのだろう。あの切り立った山に水を送るためのトンネルを通すという発想、そして実際にやってのけた人々の力と技術。早川を縦横無尽に流れているのは、水だけではなく、水力発電の開発を進めた人々の夢とエネルギーでもあるのかもしれない。
今回は、あまり知られていないだろう早川の水力発電の全容に迫った。穏やかにゆっくりと時間が流れているように感じる早川町にも、近代化へのエネルギーに満ち、邁進した時代があったのだ。
はやかわのとうげみち8
早川往還(はやかわおうかん)
奈良田~新倉~早川~保~京ヶ島~塩之上~笹走~身延町梨子~江尻窪~中山~夜子沢~切石
現在の早川町のメインの道、県道37号南アルプス公園線は、大正時代の電源開発に際して切り開かれたトロッコ軌道が原点である。それ以前は、峠越えの様々な道が早川町と隣村とをつないでいた。
中でも、笹走から身延町の曙地区、さらに身延往還(現在の国道52号線)の切石へと通じる早川往還は、江戸時代から公道と位置づけられたメインストリートであった。
現在は、多少のルート変更はあるが、舗装されていて自動車で通ることができる。
早川往還の笹走と梨子の間には、荒金峠という難所があり、付近には今でも所々に土砂崩れの跡がある。他にも中山と夜子沢の間の間遠峠、塩之上と京ヶ島の間の播磨沢など、難所の連続である。
そんな街道を行き来する人のためなのだろう、道沿いにはさまざまな神仏が祀られている。
笹走では、集落の中の道と往還との辻に道祖神が。江尻窪では、沢沿いの往還を見下ろすように大きな庚申塔が。
笹走も江尻窪も、早川往還の交通量が多かった頃は、人の行き来の多い、賑やかな集落だったことだろう。今は、人通りの多い国道や県道は、離れた所を通っていて、ひっそり、という形容詞がぴったりくる。
道祖神も庚申塔も、人通りの少ない道を眺めながら、ここ80年ちょっとの間にすっかり変わってしまった村の姿に、首をかしげているのではないだろうか。