12/魚と子どもの知恵比べ

魚と子どもの知恵比べ

 「早川町の中心を流れる早川は、日本三大急流の一つ富士川の中でも、最も急流で水量も多い支流であった。日本で二番目に高い南アルプスの主峰、3191米の北岳に源流を発し、途中の沢々の水を集めて水量を増し、清澄の水は南岸の緑を映し、ときには激流岩を噛み、ときには深淵に魚群を遊ばせながらも、ときには林産物の流送、船便の利用、田畑の灌漑にと、沿岸住民に自然の恵みを、また喜びをあたえてきた。」(望月清治著「水」)

 早川町において、川は常に暮らしと隣り合わせにあった。住民に話を聞けば、子供の頃の川での思い出が、口をついて次から次へ出てくる。無骨な風貌の山人も、川遊びのことを訪ねると、子供の瞳をして顔をほころばせ語り出す。特に魚捕りは少年の心をくすぐる遊びだった。
 でも、魚捕りってどんなもの?釣り?モリ突き?いやいや、少年たちはもっと工夫していた。年上から年下へ受け継がれる魚捕りの知恵と技。時には「遊び」を通り越した真剣さが感じられる。当時は、食べ物を確保するという意味もあたのだから。
 かつての少年達の、魚たちとの知恵比べ。とくとご覧あれ。

 

山人インタビュー⑤

今回の取材でお世話になった、長谷川空五三お話を伺いました。

■川遊びは誰から教えてもらったのですか。
先輩からだな。台風の日に先輩に川に連れていかれて「向こう岸まで泳げ」って川にぶち込まれた(笑)。無茶苦茶なようだけど、ちゃんと先輩が川下で見張ってくれていたから、事故もなかった。それから、川でよく遊ぶようになった。特に、夏休みは毎日行ってたね。

■道具はどうやって揃えたんですか。
買うお金なんないから、ほとんど自分で作ったさ。竿は、細くて長いマダケを9月ごろ切ってきて加工する。炭火であぶって、油を抜きながら形をととのえて。仕上げに、針金を巻いて重りをつけて、橋から吊るすんだ。まっすぐになるように。

■思い出深いエピソードを教えてください。
夏場は田んぼの草取りがあるんだけど、早く川に行きたいじゃん。だから、ちょっとだけ草とって、あとはじゃばじゃばっと水を濁らせて「終わった、川に行く」って(笑)。子どもの浅知恵だから、すぐばれて後で怒られるんだけど。
あと、川の水が冷たいから、20分も潜っていれば、もう唇が真っ青になる。そうなれば河原の石に抱きついて、暖まるんだ。本当にあったけえんだ。(至福の表情)

■こういった魚捕りはいつ頃までやられていたんですか。
昭和30年代半ばかな。テレビが普及する前かもしれない。俺らの子どもも潜って素手で捕まえたり、モリで突いたりぐらいはしたと思うけど。

■今だと、いろんな規制があり、川遊びもままならないようですが。
利益を目的にやるのは良くないと思うが、文化を伝えるためにやるのは許可してもらいたい。今の子どもたちにとっては、必ずしも必要なことではないかもしれんけんが、伝えないと誰も知らないってこんになる。自分も、川や山で遊んで生きる知恵を学んだよ。いざというとき、こうした知恵が役に立つと思うんだ。
若い頃は忙しくてそれどころじゃなかったけんが、孫できて、オジイって呼ばれるようになって、こういう文化を伝えていくのは、俺の世代の役割だと思うようになったね。