太陽に愛されて
「夏秋入口」。県道52号沿いにひっそりと立つこの看板から、細く曲がりくねった緑のトンネルを車で上って15分ほど。不意に目の前に集落が広がります。周囲をぐるりと山々に囲まれた、その集落の名前は夏秋(なつあけ)。一説には夏でも秋のように涼しいことから夏秋と呼ばれるそうですが、まさにそのとおりというような涼しい風が通っていきます。
笑顔が素敵な松永節子さんは、昭和28年に早川町内の角瀬(すみせ)からお嫁に来て以来、この土地で暮らしてきました。
「今朝も絹さやを採ってきてね。ここらじゃ毎日、緑のしたたる野菜を食べてるの。」
山に囲まれた夏秋を、節子さんはパラボラアンテナのように光を集める地形だと言います。南向きの斜面は日当たりがよく、冬の野菜もよく育ちます。夜霧朝霧がかかるのも、野菜がおいしく育つ秘訣だそう。節子さん手作りのヨモギ団子をほおばれば、口いっぱいに太陽の香りが広がります。
「おてんとうさん」に近くて自然いっぱいなのが、夏秋の何よりの自慢です。
はやかわのとうげみち7
大道(だいどう)
差越~差越峠~身延町下山
早川町の入り口付近、米無川(こめなしがわ)沿いには、両岸に町道が2本延びている。左岸側を上れば、今回の特集の舞台、夏秋。そして、右岸側を車で10分ほど上ると、差越(さしこし)の集落である。
集落の脇には沢が流れており、吊り橋が架かっている。かつて夏秋に通じていた道の跡である。吊り橋を渡らず沢沿いに登ると、標高約580mの差越峠を越え、あじさい寺としても知られる妙見寺を経由して身延町下山(しもやま)に至る。現在の県道が通るまでは、早川入りと下山とを結ぶ往還道だった。
差越の集落から峠に向けて少し歩くと、苔むした石垣がそこここに見える。田んぼの跡だ。注意深く見ると、沢沿いには水路と思しき跡もある。山の中に、こんなにも田んぼが広がっていたということに驚いてしまう。
差越の子どもは下山の学校に通っていたこともあったという。戦前、本建の小学校には高等科がなかった。高等科を設置している学校まで通うには、塩之上にあった五箇小学校より下山の方がずっと近かったそうだ。
道沿いには田んぼが並び、子どもが通学のために行き来する。大道はそんな風に日常的に使われる道だった。
とはいえ、下山からやってきた花嫁行列が、途中でキツネに化かされて、山の中で宴会をしていた、という言い伝えも残っている。かつては人間の領域と自然の領域とがせめぎ合っていたのだろう。
今はすっかり自然に押されていて、踏み跡もほとんどない。妙見寺のしし威しの音が、僅かに、人間側の領域の主張に聞こえた。