「七面山」は日蓮宗の主要霊場として知られ,総本山・身延山を守護する鬼門除けの位置にある霊峰だ。山上に建つ敬慎院(本社)には,七面大明神が祀られている。
この霊山は,本社を含む一部が行政区画上,身延町の飛地だが,地理的には早川町内にある。そのため,山麓の町内地域とは,古くから深い関わりを持ってきた。
平安時代には,修験道の修行場であったとされ,山の二丁目にある神力坊等にはその名残が見られる。鎌倉時代になってからは,七面大明神よりも前に,雨畑の人々によって池大神が祀られた。その後,日蓮聖人が身延山に入山し,七面山は日蓮宗の霊場となっていく。江戸時代以降には参詣者が増え,宿場町として赤沢が賑わった。さらに登拝できない人のために,代替となる霊場が榑坪や大原野などに作られた。
本稿では,七面山をめぐる時代ごとの様相の変化を踏まえながら,町内地域とこの霊峰との関わりを詳しくたどっていく。