古文書からみる早川の暮らし
むかーしむかしその昔、早川流域の村々は、「早川入り」と呼ばれていました。でも地元の人は、この言葉にあまり良い印象を持っていません。「入り」というのは、入り組んだ谷地形のことで、「早川入り」という言葉にはへんぴな所、というニュアンスがつきまとっているからなんです。
江戸時代の早川入り、といって思い浮かべるのは…田んぼが少なく米が取れないから貧しい。交通の便が悪いから、他の地域との行き来も少なく、ひっそり暮らしている。こんなイメージではないでしょうか。
今回はそんな「早川入り」のイメージを壊してみようと、古文書を取り上げます。古文書の、独特の崩し字と難解な言い回しは、何かの暗号のようにも感じられます。でも、その暗号を解読すると、先人たちの暮らしぶりが浮かび上がってくるのです。
イメージというベールを剥いで、さて、どんな姿が見えてくるでしょうか。