16/移住者の早川ライフ2

移住者の早川ライフ2

都会でサラリーマンをやっていた人が、果たして田舎で生活できるのか。近年は、団塊の世代だけでなく、若い世代の田舎暮らしも増えつつあるが、若い世代は職がなければ田舎暮らしはできない。職場が限られている早川町への移住は決して容易ではないはずである。
その答えを求めて、今回は30代の若い移住者に密着取材した。脱サラして、早川に仕事を求めて大阪から移住してきた澤村義之さん、律代さん夫妻である。
移住して5年、現在澤村夫妻は早川町の雨畑で、「硯の里キャンプ場」の管理運営をしながら、今早川町を大いに盛り上げているダンスサークル「早川酔茶晴(よっちゃばれ)組」の中心的存在でもある。
お二人は早川町に何を求めて来たのか。そして、今、何を思い、どんな暮らしをしているのだろうか。そこから見えてきたものは、決して平坦な道ではないが、それでも地域に溶け込みながら、毎日、生き生きと暮らす二人の姿であった。

早川町で暮らそう!

取材にご協力いただいた澤村さん夫妻に、早川での生活や町民との付き合い方についてお話を伺いました。

■早川での生活は都会とは違いますか。
義之さん:確かにサラリーマン自体に比べれば年収は減ったけど、ストレスが全くないっていうのは、やっぱりいいよね。笑って暮らせるっていうのは大事だと思う。お酒を飲んでも嫌な話は出てこない。
ここでの生活は、いろいろなことを含めて、自分でやると決めたらとしたら貫き通すしかない。気合いと根性。これは学生時代のバスケで培われたものだけど。ただし、世間を知っていることも大事。皆さんとの協調性を大切にしながら、自分らしさを出していければいいね。田舎はよい部分も悪い部分も持っているから。
早川の人は熱しやすく冷めやすい傾向があるので、私たちの手で、一度火がついたものを、何とか持続させて、地域を盛り上げていきたいという思いがあったと思う。「酔茶晴」がまさにそれ。

■酔茶晴の今後の展開は。
律代さん:いろいろなイベントに参加したいですね。ただ、お金を稼ぐためにやっているわけではないので、「踊りたい」という気持をいつまでも持ち続けていたいですね。賄いがでればどんなイベントにでも駆けつけますよ。
もう一つは、子どもたちにも広めていきたいですね。高校生が「楽しい」といって踊っている姿を見るのがうれしいです。小学校の先生がメンバーに入っている関係で、その先生の教え子もやりたいと言って来てくれたんです。現在は小学校でも教えています。メンバーの中にはお母さんもいますから、その子どもも影響されるようですよ。テーマ曲を口ずさんだり、踊る真似をしてみたり。次の世代が酔茶晴を続けてくれることが一番の願いですかね。

■早川での楽しみは何ですか。
義之さん:愛犬の「サクラ」と散歩をすることかな。この前、サクラと一緒に奥沢の方に行ったときのことだけど、奥の方まで走っていって、なかなか帰ってこなかったんだ。「どうしたんだ、何かあるのか?それなら案内しろ」っていったら、ものすごい断崖絶壁を連れて行かれたよ。たぶん僕がそこを通れることを計算して案内してくれたんだろうね。さらに奧に行くと、猟師がさばいた後の鹿をくわえて持って来たんだ。びっくりしたよ。サクラにとっても早川の山は格好の遊び場だと思う。
実は、うちにはネコもたくさんいるんだよ。この家の中でも、いろんなところに隠れているから、突然扉を開けて出てきても驚かないように。やっぱり動物はいいね。仕事で疲れて帰ってきても、癒されるから。夫婦そろって、犬好き、猫好きなんだよね。

■体力仕事の多い旦那さんに気を遣うことは。
律代さん:弁当は毎朝作ります。出勤が早いので、それよりも早く起きて作るのは大変ですが、体を使う仕事なので、できるだけ体にいいものを食べて欲しいですものね。なるべく冷凍食品も使わず、手作りの弁当を作ることを心がけています。
地元の素材を使ったりもしますよ。最近は、キャンプ場の周囲でフキノトウがとれますから、フキ味噌を作ったりしますね。

■地元の人々とうち解ける秘訣はありますか。
律代さん:みんなが集まる場で、何かを思い切ってやることですね。私は地元の敬老会で氷川きよしや軍歌を歌ったら、それが大うけして、「あんたは芸人や」とか「今度一緒にカラオケ行こう」などと今まで話したこともない人から言われ、びっくりしました。
「はい、ありがとうございます」と敬礼するとさらにうけて、すぐにみなさんと仲良くなりました。あまり気どらずに、ありのままの自分を出すことが大事なんですかね。