31/霊峰七面山に迫る

霊峰七面山に迫る

七面山は早川町の南側、身延山地の一角をなす標高1982mの山である。山の地盤は柔らかく、「がれ場」と呼ばれる崩落個所が山頂付近に数多く存在する。
七面山の名は、板のような急な「がれ場」が7つの面にあることから「なないた(七面)がれのたけ」とよび慣らされていたことが由来とされる。『甲斐国史』によれば、「七面山をナナイタガレとも云う。此の山痛く欠けたる所、七つあるらん。又七面大明神を祀り遂に山名と為る」とあり、また江戸時代に発行された身延山参詣の案内書『身延鑑』には「山を七面というは此の山に八方の門あり。鬼門を閉じて聞信戒定進懺に表示し、七面を開き七難を払い、七福を授け給う七不思議の神の住ませ給うゆえに、七面を名づける侍るとなり」とある。
さらに時代をさかのぼると、鎌倉時代の日蓮の書状の中に「七面の峰」「七面の山」「七面のがれ」「七面と申す山」「なないたがれ」「なないたがれのたけ」といった様々の記述がみられる。この頃には既に「七面」という山の名と霊地としての性格を有していたと考えられる。
現在でも七面山山頂付近にある「大がれ」のその姿を見ると、宗派を問わず見る者を圧倒する威容であり、名前の由来の一端をうかがい知ることができる。
この七面山にはどのような歴史があり、人々はどのような歴史があり、人々はどのように関わってきたのか、探ってみた。

美観図鑑7

湯島の渓谷(早川本流、西山より)

撮影:深沢正晴
隧道を抜けると、大自然の力を見せつけられます。聳り立つ岸壁、狭い谷、燃える山、清き流れ。早川屈指の渓谷です。この谷には、琴路と吾平の悲恋物語が語り継がれ、その奥にはチョンキラ石、イボヤの手甲石など巨石群が出現し、さらに上ると湯島の大杉、家康の隠し湯など伝説の郷へと続きます。

七面山周辺散策ガイド

はやかわのとうげみち3

身延往還(みのぶおうかん)

身延山奥の院ー追分感井坊ー十万部寺ー宗説坊ー赤沢

 身延往還は、身延山久遠寺と七面山とを結ぶ信仰の道である。日蓮上人亡き後、弟子の日朗上人と、日蓮を身延に招いた南部(波木井)実長とが七面山を開くために歩いたといわれる。
久遠寺から奥の院、そこから追分感井坊(かんせいぼう)、十万部寺、宗説坊を通り、赤沢で一泊し、さらに羽衣、七面山敬慎院まで。車道が開通する前は、信者たちもみなこの道を歩いたのだ。
身延山奥の院から赤沢までは、2時間程度の道のり。最近では信者であっても歩くことが少ないが、トレッキングコースとしてはなかなか手頃だ。十万部寺から赤沢方面に少し下ると、早川町内の集落や甲府盆地、笊が岳や南アルプスが展望できるスポットもある。
道中、宗説坊付近は杉並木が残り、石工が残したという石灯篭もあって、昔の参道の面影を残している。運が良ければ、太鼓をたたき、お題目を唱えながら山道を歩く白装束の信徒たちに出会えるかもしれない。