39/乾物の知恵と技

乾物の知恵と技

春の山菜、秋のきのこ。畑で育てたダイコン、サツマイモ、サトイモ。そして、川で獲ったヤマメやカジカ…。
早川町における「乾物」は、こうした貴重な食材を、「より長く食べるための工夫」から生み出された。
現在のように、冷蔵庫や冷凍庫がなかった頃のこと。手に入れた食材を残さず、無駄にせずに利用するために、天日干しにしたり、囲炉裏やかまどの熱や煙を利用したりして乾燥させていた。こうして作られた乾物は、1年以上経っても、美味しく食べることができる。
冬の寒い時期にも、多くの乾物が作られる。西山地区の冬の風物詩である「寒ざらし(寒干し大根)」は、一年で最も寒いとされる1月の「寒中」に作られる。厳しい冬の寒さが、軒下に干されたダイコンを味も見た目も美味しくするのだ。
「去年は干した後に温かくなったから、白くならなかったけれど、今年は白くなりそうだ。」と語る、西山のおばあちゃん。両親や祖父母と一緒に作りながら、「作り方」だけでなく「自然を見る目」もしっかりと受け継いでいる。
イモガラを町の特産品にと活動する大島集落では、隣近所が顔を合わせ、芋茎の皮を剥いて干す昔ながらの風景が今なお残る。そしてお宮の祭典では、イモガラで作った料理を持ち寄り、隣近所で一緒に食べる。乾物が取り持つ地域のつながりだ。
昔はスーパーなんて便利なものはなかった。「自分のところでとれた食べもので、いかに食を楽しむか。」食べものが少なくなるこの時期。今も昔も早川の食卓を支えている「乾物」の世界を覗いてみる。

 

おばあちゃんの試してレシピ<乾物特集>

今回ご紹介した乾物を使った、ちょっと変わったレシピをご紹介します。ぜひ、ご家庭でも挑戦してみて下さい!

乾物ならではの旨味と食感 干し椎茸のフライ

干し椎茸をフライに?ちょっとビックリされるかもしれませんが、これが本当に美味しいんです。奈良田の温泉旅館・白根館で教えてもらいました。干し椎茸の歯ごたえと旨味が、フライとベストマッチ。子どもも大好き、ご家庭の定番メニューになること間違いなしです。

■材料(4人前)
・干し椎茸/8つ
・生卵/2個
・小麦粉/適量
・パン粉/適量
・塩こしょう/適量
・サラダ油/適量

■作り方
①干し椎茸を水に浸し、一昼夜かけて戻す。
②キッチンペーパーなどで水気を拭き取り、いしづきを切る。
③塩こしょうをする。
④小麦粉、卵、パン粉の順で、衣をつける。
⑤サラダ油で、キツネ色になるまで揚げる。

 

山の幸で美味しいおすし 芋茎の巻き寿司

芋茎を巻き寿司の芯に使うのは、町内でも一般的ですが、今回、雨畑の望月伊勢子さんに作っていただいたのは、切り口がお花などの模様になるお洒落な巻き寿司。芋茎以外の食材も、どれも自家製のものばかり。山の中の早川町で、こんなに美味しく見た目もきれいなお寿司に出会えて感動です!

■材料(3本分)
・芋茎/20g
・干し椎茸/3枚

〈芋茎と干し椎茸の煮汁〉
・だし汁/250cc
・しょう油/大さじ3
・砂糖/大さじ3
・みりん/大さじ3

〈その他の具材〉
・青菜/一束
・卵/2つ
・小梅の酢漬け/適量
・すし飯/1.5合
・すし海苔/3枚

■作り方
①芋茎をたっぷりの水で戻し(30分が目安だが、太さなどによって時間は変わる)、流水で洗い水気を絞る。
②あらかじめ戻しておいた干し椎茸をスライスし、芋茎と一緒に分量の煮汁で煮て、冷ましておく。
③青菜は茹で、卵は薄焼きにし、1cm程度の幅に切る。小梅の酢漬けは種を出し刻んでおく。
④巻きすしの上に海苔を敷き、すし飯と具材をお好みで乗せて巻く。
⑤適当な厚さに切って、皿に盛る。

 

早川発の新おでん種 寒ざらしの巾着

寒ざらしは一般的に煮物にして食べられますが、同じ煮物でもひと手間加えたのがこの巾着。奈良田の里温泉の深沢夏子さんに教えていただきました。作り方もいたって簡単。新しいおでん種として、ご家庭でもウケること間違いなしです。

■材料(4人前)
・油揚げ/4枚(端を切って袋状に)
・寒干大根/4つ(戻して半分に切る)
・生卵/4個
・干し椎茸/4つ(戻してスライス)
・くずきり/適量(戻しておく)
・ツナ缶/1~2缶
・ミツバ/茎の付いたもの適量(茹でておき、盛りつけ時に巾着のとじ口をしばって見た目をきれいに)
・おでん出汁/適量(鰹節・昆布・干し椎茸などで出汁をとり、しょうゆ・みりんで味付け。市販の出汁でもOK)

■作り方
①油揚げの中に、まず生卵を入れ、その後ミツバ以外の材料を入れていく。
②油揚げの口を屏風折りにし、口が開かないように楊枝で縫うように止める。
③おでん出汁に入れ、弱火でことこと煮る。30分程度で食べられるが、あとはお好みで。

 

はやかわのとうげみち11

ドノコヤ峠 早川町奈良田~芦安鉱山~ドノコヤ峠~桃ノ木温泉(南アルプス市芦安)~芦安

ドノコヤ峠は、奈良田の集落から早川を遡り、ドノコヤ沢を詰めた所にある、標高1518mの峠である。奈良田の人々が、芦安の人々と交易・交流するのに使い、峠での荷替(にがえ、物々交換)を行ったり、嫁や婿が行ったり来たりしたという。奈良田から峠に行く途中には、芦安鉱山の跡がある。銅之古屋鉱山の名で大正時代に開かれ、昭和30年頃まで金銀銅が採掘された。奈良田の盆踊りに鉱山の人が来たといった話もあり、往来があったようだ。
また、奈良田に遷居され、七不思議の伝説を残したとされる奈良王様こと孝謙天皇も、ドノコヤ峠を通ってやってきたと言われている。芦安の御勅使(みだい)川や、南アルプスの鳳凰(=法王)三山は、奈良王様にちなんだ名前だともいわれているのだ。「日本アルプス」の名付け親、イギリス人宣教師のウォルター・ウェストンも、ドノコヤ峠を越えて奈良田にやってきた。明治36年5月のことである。奈良田からは早川沿いに下り、西山温泉と保でそれぞれ1泊している。この時の様子は、『極東の遊歩道』という著作に記されていて、荷替に携わる少女の描写なども登場する。ドノコヤ峠は、奈良田の人にとって生活に密着した道でもあったが、時に、「秘境」といわれる自分たちの集落に、遠くの世界から客人を運んでくる道でもあったのだろう。