65/雨畑製茶工場の人々

雨畑茶にかける情熱 雨畑製茶工場の人々

5月中旬。早川町の一大イベントである山菜祭りが終わり、山々の緑が一層美しく映えてくる季節。雨畑中のお茶畑が黄緑色に染まり、五月晴の青空と相まって目の覚めるようなコントラストを織りなす。この頃になると雨畑に住む人たちは少しずつ慌ただしくなる。
雨畑茶は、硯島村誌(明治時代)にも記載されている、雨畑地区を代表する産物の一つだ。「雨畑」の名前通り、この一帯は雨が多いが、地質は砂利が混ざった傾斜地で水はけが良く、寒暖の差があり霧が良く発生することなどから、お茶栽培に適した環境である。
雨畑茶は主に、自家消費用に生産されている。加工は必要最低限しかしない荒茶で、茶葉そのものの風味を味わう事ができる。雨畑では傾斜地で大規模所有でもないため、手摘みで丁寧に収穫され、また無農薬で栽培されているため安心・安全に飲むことができる。
そうして収穫された茶葉を加工するのが、雨畑茶業組合である。お茶のシーズンである5月中旬から2週間ほどの短い期間だけ工場を稼働する。今回は、そのお茶工場に密着した。

 

めっける めっかる あのときの早川

はやかわおもいでアルバム1

雨畑のもう一つの特産品、雨畑硯にまつわる写真
昭和初期の雨畑硯製造組合作業場

良質な硯として知られる雨畑硯。起源は鎌倉時代。日蓮聖人の弟子、日朗上人が七面山開山の帰路、雨畑川上流で蒼黒い石を見つけ、それを地元の人に彫らせたところ、良質な硯が出来たという。江戸時代、その質が評価され全国的に知れ渡り、明治時代、硯の需要の高まりとともに最盛期を迎え、雨畑地区に一〇〇名以上の硯職人がいたという記録が残る。
写真は、昭和初期。本村集落にあった雨畑硯製造組合の作業場の様子。組合は、本村の旧家が立ち上げ、原石採掘から製造・販売まで行った。本村とその周辺の職人が10名程集められ、事に当たった。作業場は本通りに面し、薔薇の生け垣の隙間からは、職人たちが黙々と作業する様子が窺え、硯を彫るゴリゴリという音が聞こえた。
組合は、組合長の家族が本村を離れるのを機に一代で幕を閉じた。職人は個々で製作を続けたが、やがて戦争、需要の低下などにより衰退。現在、職人は一人であるが、上質な雨畑硯が多くの人々に愛されている事実は変わらない。