集落を歌いつなぐ
私は平成30年から、当時所属していた箕浦一哉ゼミ(山梨県立大学)の課外活動で、古屋集落でおこなわれている集落住民と町外ボランティアによる、集落維持管理の共同作業に参加してきた。それで早川町をたびたび訪れるようになり、集合までの時間や作業が早く終わったときには、いろんな場所を案内してもらい、会話する町民が増えていく中で、早川町は生き生きとしている町だと感じていた。
県内では高齢化率が最も高く(令和2年度高齢者福祉基礎調査結果)、令和3年に入って人口が千人割れをしたというこの町で、どうしてそう感じるのか。私は卒業研究で早川町をフィールドとして、その秘密を探った。選んだテーマは「奈良田盆踊り」。かつては外良寺前の広場から溢れ出るくらい大勢の人が集まって、夜遅くまで盛大に開催されたという地域の盆踊りは、今も地元住民にとって懐かしい思い出として残っている。「登山客が登山靴でガタガタと踊りをしていたね」「昔はお盆というとみんな奈良田に帰ってきて、まあ賑やかだったね。(うちは旅館業だったから)お客さんを盆踊りに送り出して、急いで片づけをやって、それから参加した。唄い手がとっかえひっかえ酔っ払ってなんぼでも歌っていた」など、当時の様子を鮮やかに語っていた。
参加者の減少や集落の高齢化などからしばらく休止状態だった盆踊りは、平成30年に復活を遂げ、今年は4年目を迎える。ここで、私が卒業研究を通じて見聞きした復活の取り組みを振り返り、奈良田集落で盆踊りが開催される意味について考えてみたい。(秋山恵里)
特別企画「鳥の目虫の目」 その1
2000人のホームページ
100号記念に向けて、上流研のこれまでの取り組みを6回に渡って振り返る特別企画「鳥の目虫の目」。連載企画1回目で取り上げるのは「2000人のホームページ制作」。平成8年(1996)に持ち上がったこの企画は、当時の早川町人口約2000人の町民を対象に、一人ひとりを取材して、社会で活用が始ったばかりのインターネットを通じて情報発信して交流を促進しよう、というものであった。平成10年(1998)から取材が始まり、平成14年(2003)年に全37集落を一巡、その後も一巡目で取材できなかった人を中心に二巡目に突入し、平成23年(2011)まで続けられた。
春・夏・冬の年に3回、各時期に1~3週間くらいかけて集中的に聞き取りを進めていく。大学生を中心とした若者が多く参加し、ときには早川北小の児童も行動をともにした。取材活動自体が、早川町を舞台とする交流の場を生み出すとともに、町民から聞き出した情報は若者を刺激し、魅了し、また一軒取材が終わるたびにお腹一杯になっていることも多かった。取材参加をきっかけに、現在も早川町とのつながりが絶えない人も少なくない。
この活動を通じて収集蓄積した、町民が持つ知恵や技術、そして様々な思いが土台となり、その後生まれた、上流研の様々な事業へとつながっていった。当初はインターネットの普及が未然とも言える状況だったこともあり、地域住民や役場からの評価は低かったようだ。しかし今では、懐かしむ声や再開を望む声も聞こえる。集まり参じて人は変われど、「2000人のホームページ制作」は上流研の原点として、ずっと変わらず生き続けている。