隆起と侵食 大自然の営みを早川に見る
早川流域の人々が暮らす谷あいの地域は、かつて「早川入り」と呼ばれた。この「早川入り」の〝入り〟とは、深く入り組んだ谷あいを表す言葉。標高2000m級の甲斐駒山脈、3000m級の白根山脈に挟まれた早川流域の、険しい地形を思い起こさせる。しかし、現代の早川町で目にするこうした山々の基盤となっている地質や岩石は、おそらく深さが3000m以上の場所で出来たと思われる。西南日本弧の太平洋側にあって、東西に延びる海溝付近である。そして初期の人類である〝猿人〞がアフリカ大陸に出現した約600万年前にあっても、まだその大部分が海の底であったのだ。
早川流域では、約1万年前の縄文時代早期の遺跡が見つかっており、生活跡と考えられている。この地域では昔から、川沿いに点在するわずかの平らな土地や、急峻な山あいの中の少し傾斜の緩い土地を巧みに利用して集落をつくり、農地を耕し、暮らしを営んできたわけだ。
それでは、山々に囲まれた平地や緩い斜面は、いつ、どこに、どうやって出来たのだろうか? 早川や雨畑川などの河川は、そうした地形にどう関わっているか?
今回は、見慣れた山々や川の織りなす地形が物語る、早川流域の大地の過去から現在への移り変わりについて紐解きつつ、現在見ることのできる地形や地質的特徴から、それが現代までの暮らしにどんな影響を及ぼしたのかを推し量ってみたい。
特別企画「鳥の目虫の目」 その3
早川フィールドミュージアム公式ガイドブック『めたきけし』の制作
建設した施設の中で、収集した文化財などを保管・展示する一般の博物館とは違い、町全体を舞台に、早川の歴史や文化、人々の暮らしを伝えていく「フィールドミュージアム」という構想のもと、上流研は様々な取り組みをおこなってきていた。それらの活動成果を目に見える形にしていく上で、町のガイドブックの制作は、当然の展開だったかもしれない。
『めたきけし』は、町内6 つの地区ごとに見所スポットをまとめた、早川フィールドミュージアム公式ガイドブック。その特徴は、町民自身が作り上げたもの、ということ。地区のことは何でも知っている長老から、未来を背負って立つ若者まで、当時の老若男女全54名の制作委員が中心となり、「お宝探し」を通じて町内から623個の地域資源を発掘。自分たちで実際に歩いて見つけた「お宝(地域資源)」を、互いに紹介し合い、それがどういうものなのか確認し合い、そこから195 個の資源に絞り込んでいく。編集も町民参加で進め、12巻にまとめ上げるのに足掛け3年。表紙や中身の絵も、町民自身が描いたものだと言うから、すごい。
当初より、観光客だけでなく、子どもたちや地域住民自身が、地域を知るための資料になる〝ガイドブック〟を目指していた。そのため観光名所ばかりでなく、普段の暮らしの舞台がたくさん登場する。制作に携わったスタッフはそれぞれの道を歩み、すでに上流研から退いているが、このガイドブックの制作には、ものすごいエネルギーが注がれていたことが想像できる。タイトルに込められた想いも、まさに『めたきけし』(=こっちが閉口するほどに、興味を持って聞きまくってこい!)なのだろう。