大雪を乗り越えて
2014年の2月14日。早川町を観測史上初と言われる大雪が襲った。多い所で1m 80 cmを超える雪は交通網を分断し、全町孤立という事態を引き起こした。多くの方が、当初家から出るのもままならないという状況。さらに、雪崩も全町的に発生し、一部地域で停電や断水の引き金となった。メディアでも、この状況を連日全国放送で伝えていた。
近年の異常気象は、台風、猛暑、大雪と様々な「史上初」を引き起こしている。いつ何時、予想だにしない大災害が起こるか分からない。そんな中で、最終的に頼れるのは隣近所でどれだけ一致団結して助け合えるかだ。
これまでの早川町の災害を振り返ると、戦前には集落全体を焼き尽すような大火災や、昭和34年、57年の台風を始めとする風水害にしばしば見舞われている。近年では、土砂崩落による県道の寸断で、集落、地区の長期孤立なども見られた。ただ、雪に関しては、短期的、部分的な孤立は毎年何度かあったものの、今回のように長期に渡る全町的な孤立ははじめての経験だった。
今号では、この大雪に、町は、地域は、建設会社はどのように立ち向かったのかを、雨畑地域を中心に記録に残しておきたいと思う。
めっける めっかる あのときの早川
はやかわおもいでアルバム6
待ちわびた物資は悪路を越えて
(昭和34年、三里地区栃ノ木橋付近にて撮影)
この写真は台風直後に孤立した西山地区へ、物資を運んだときに撮影されたもの。被害を与えたのは1959年の台風7号。早川流域で総降水量500mm以上を記録し、西山地区だけでなく、早川町全体に大きな被害をもたらした。今でも会話の中で度々耳にする、町民にとって忘れられない記憶だ。
荷を背負子に乗せているのは西山地区で商店や旅館を経営していた人達。当時は電源開発でにぎわい、商店が11軒ほどあったそうだ。やっと荷物が届いたためか、左下の女性には笑顔が見られる。
荷を運んだのは身延町飯富で菓子屋を営む木曽屋。自宅も床下浸水の被害を受けたが、ラジオで西山地区が孤立した事を知り、次の日には注文を取りに出向いたという。飯富地区の商店は早川町と関わりが深く、災害時にはすぐに出向いて対応していたようだ。
増水して県道が流されたため、栃ノ木橋までしか車が通れなかったという。橋までの道中も土砂で埋まり、時に荷を落とすほどガタガタの道無き道を行った。商売とはいえ大変な作業だった事だろう。
この写真のわずか1ケ月後にはさらに巨大な台風「伊勢湾台風」が直撃する。度重なる災害に町民同士の連携もさることながら、身延町をはじめ周辺地域と連携をとって乗り越えてきた。写真にまつわるエピソードに、町内外関係なく隣人を思いやる気持ちが大切な事を改めて思い起こさせられた。