晩秋のトレイルをゆく
登山や山歩きが中高年や若い女性達の間でブームになる中、山の頂を目指す「ピークハント」型の登山から、山頂を目指す事を目的とせず、山や里を、ときには何日もかけて巡りながら歩く「ロングトレイル」が注目されている。アメリカのアパラチアン・トレイル、ニュージーランドのミルフォード・トラック等、海外ではかねてから「ロングトレイル」の文化が根付いているが、日本でも近年、長野と新潟の県境を歩く「信越トレイル」、八ヶ岳の山麓を一周する「八ヶ岳スーパートレイル」など、全国各地でロングトレイルが誕生している。これは、山へ登る達成感だけでなく、訪れた地の自然や歴史、文化などを感じたい、学びたいというニーズが高まってきたことの証だろう。
翻ってロングトレイルは、地元にとっては観光や地域活性化の有効な手段と考えられ、我が南アルプスエリアでも地域活性化やエリア内自治体との連携促進の手段として、整備計画が持ち上がった。その名も「南アルプスフロントトレイル」。南アルプス市から早川町を経て南部町に至るまでの、南アルプス前衛の山々を結んだ全長およそ70 kmのロングトレイルである。今回はその第一期整備区間として、来春の仮オープンに向けて現在整備が進行中の池の茶屋峠から十谷峠間のルートの魅力を紹介する。
めっける めっかる あのときの早川
はやかわおもいでアルバム2
山が舞台の仕事風景 索道用ワイヤーの運搬
(昭和30年頃)
早川入りに住む人々は、狩猟をしたり、山で焼畑をしたり、山林の手入れをしたりと日常的に山に入った。また鉱山や電源開発、林業などの仕事に就き、現金収入を得るために入ることもあった。
写真は昭和30年頃、林業で木材を搬出するための索道(山から山に荷物を運ぶロープーウェイ)に使うワイヤーを運んでいる様子。ワイヤーは全長1km程と長く、20~25人が数珠つなぎになって運んだ。ワイヤーを積み40 kg近くある「背負子」を杖で支え、休憩しているところだ。茂倉や新倉の人々は夜明け前に出発し、伝付峠を越えて静岡県の大井川流域にある二軒小屋や椹島を目指した。ワイヤーがよじれ、横歩きで峠越えすることもあったという。そこに一週間程滞在し、方々の作業場へ荷を運んだ。男性は別の仕事に就いていたので、このような仕事は主に女性の日雇い仕事だった。峠道には、発電所などの通勤の人、食料を運ぶ人夫、登山者などたくさんの人の往来があった。
運ばれたワイヤーは、静岡側から南アルプスの標高2000mの尾根を越え西山温泉の辺りを結んだ。当時、木材の搬出方法が、川を流す「川狩り」から索道に変わったため、大量のワイヤーが山の上に運ばれた。西山温泉に下ろされた木材は、トロッコなどで早川橋まで運ばれた。
今なら、二軒小屋の下流から物資を運びそうなものだが、山脈を隔てた早川の人々にこの運搬が頼まれた。これは物理的に近いことの他に、山道が川沿いの道に比べ、安定かつ安全だったからで、当時としては当たり前の選択だったのだろう。