我が家の 薪ストーブ自慢
燃えたぎる炎と、薪がはじけるバチバチッという音。石油とも電気とも違う薪ストーブの暖かさ。炎を眺めながら暖をとっていると、このままいつまでも眺めていたい気持ちにさせられます。火が灯る場所には自然に人が寄ってきたり、人と一緒に火を囲むと、言葉はなくてもそこにいられたり…。火が、人の心に寄り添ってくれるようにも感じます。
人間は太古の昔から、調理をしたり、暖をとったりして、火と共に暮らしてきました。しかし豊かさや利便性を追求し続けた結果、私たちのエネルギー源は薪や木炭から、より強力な石炭、石油、 ガスに変わり、さらにはオール電化となって全く火のない暮らしをする家庭も増えてきました。 そんな中、発生した東日本大震災。原発事故を通して、私たちがエネルギーについて改めて考えなければならない時代になってきたといえるでしょう。
火のある生活。薪ストーブのある暮らしは、そんな時代だからこそ注目される、古いようで新しい、わくわくする暮らしの提案です。今回は、薪ストーブを愛する4名の方のお宅に伺い、実際に薪ストーブを見せていただきました。薪ストーブはその家の顔であり、主役です。人によって使い方もこだわりも様々。オシャレで機能的で自慢の薪ストーブをごらん下さい。
めっける めっかる あのときの早川
はやかわおもいでアルバム3
火のある暮らしの原点 暮らしの中心にあったひじろ
(昭和31年7月撮影)
写真は、ダム建設で集団移転する前の奈良田集落で撮影されたもの。移転前、どの家にも居間の真ん中に「ひじろ」(囲炉裏のこと)があった。炊事の場、食事の場、暖をとる場、言葉を交わす場…。ひじろは生活の中心にあり、一年中使われた。朝、まだ日が昇らないうちに女性が火を起こし、年寄りのいる家では、ほとんど終日薪を燃したという。
ひじろの縁を「おくらぶち」といい、内側には足を置き火にあたるための「ふんだぎ」がある。ひじろの上には格子状の「火棚」があり、火の粉が舞い上がるのを防ぎ、熱や煙を拡散させた。火棚ではキノコを乾燥させ、魚やヘビの薫製もつくった。天井から吊るされたかぎ状の棒は「おかぎ」といい、鉄瓶や鍋をかけた。おかぎの長さを変えて火力を調整した。くど(かまど)もあったが、炊事はほとんどひじろでした。煮物やおばく(麦飯)を煮て、ヒエの餅を焼き、芋は直接灰の中に入れて焼いた。ヤマメ、蛙や山鳥、ウサギなどの串焼きは、よく火が通り美味しかったという。
夕食後の家族団欒の時間。子どもはおじいさんやおばあさんの懐で温めてもらいながら、口遊びや奈良田に伝わる伝説、民謡を子守唄代わりに聞かせてもらったという。ときに村人の交流の場にもなり、農閑期、女性たちは集まり、ひじろを囲んでお茶を飲んだ。三味線を持参することもあり(奈良田ではほとんどの家に三味線があった)、民謡を弾き、歌うことは大きな楽しみだった。長い歴史を持つひじろは、家族を、世代を、その土地の文化をつなげてきたのだ。