みちつくり
5月4日午前7時半過ぎ。薬袋(みない)集落の公会堂前に、人々が集まり始めた。今日は「春の道つくり」の日。集落住民が総出で、道路や側溝の清掃をしたり、獣害防止用の電気柵のメンテナンスをしたりするのだ。
道つくりは、都市部で見られるような〝有志による清掃活動〟というのとは違い、薬袋の住民にとっては参加するのが当然の作業である。「自分たちの集落のことは、自分たちの力で」、そういう精神に基づいた習慣といってよいだろう。
こういった「村仕事」は、早川町内はもちろん全国各地で行われているが、人口減少や高齢化、また住民の意識の変化などで作業の継続に苦労している地域が多い。そんな中で薬袋の道つくりは様々な人が集まって行われている。
私自身、5年ほど薬袋の集落に住んでいたことがあり、春と秋の道つくりに参加していた。休日にちょっと早起きして作業に参加するのは正直なところ億劫でもある。それでも、普段ほとんど一緒に活動することがない集落の人たちと作業するのは楽しくもあった。作業をしたり集まって話をしたりする中で、薬袋の人たちが大事にしていることというのが、なんとなくわかってくるのだ。集落にとって重要な行事である道つくりに密着し、その意義を考えてみた。
めっける めっかる あのときの早川
はやかわおもいでアルバム8
青年団 山の道つくり「登山道整備」
(昭和25年代/硯島地区笊ヶ岳にて撮影)
硯島地区の青年団が、奉仕活動で笊ヶ岳の登山道を整備している際の写真である。
見てお分かりの通り、男4人が非常にもろそうな岩場の狭い道を歩いている。彼らはペンキで道しるべの矢印を書いたり、登山道の簡単な整備をしたりしていたようだ。一般の人がやるとしたら、命がけの作業であるが、彼らにとっては慣れ親しんだ地元の山。環境を熟知しており、危険を回避しながら作業できたという。
こうした青年団は町内各地区にあり、中学卒業から結婚するまでのおおよそ15歳~25歳の男女で構成されていた。奉仕活動の他に、村のお祭りを取り仕切ったり、芝居で村の祭りを盛り上げたり。地域を盛り上げるためになくてはならない戦力だったという。