82/白樺会の軌跡

白樺会の軌跡

 早川町の最奥地。奈良田集落。数々の伝説や、独自の風習から「秘境」と呼ばれてきた地だ。その風習の一つが民謡である。かつては、手づくりの三味線が各家庭にあり、盆踊りを始めとして、結婚式等の晴れの場、集落での集りにも欠かす事のできないものであった。

 その奈良田民謡がこの初夏、新聞に大きく取り上げられた。「奈良田追分 日本民謡8選」。日本フォークダンス連盟が民謡の保存や普及を目的に全国から8曲を選出する「ふるさと民謡」に奈良田民謡を代表する1曲「奈良田追分」が選出されたのだ。6月に静岡県熱海市で行われた同連盟主催の全国日本民謡講習会に指導者として参加し、900人を相手に奈良田追分の披露、指導が行われた。

 近年、過疎高齢化の影響から、出演自体が難しくなっていた奈良田民謡。その奈良田民謡にどんな変化が起こったのか。今号では奈良田の伝統文化を後世に伝えるための取り組みを追った。

 

めっける めっかる あのときの早川

はやかわおもいでアルバム9

若者と三味線(昭和30年頃、西山地区奈良田集落にて撮影)

 三味線を習う奈良田の若者たち。まだ習い出しの頃、NHKが若者が三味線を弾く様子を取材するために来た際に撮影された写真。

 その頃、三味線を弾けるのはお年寄りばかりであったため、「私たちも弾けるようになろう」と、若い人たちが5人集まって習い始めた。左上にいる男性は役場に勤めていて、放送局などへ地域の情報を積極的に提供していた。若者が三味線を習い始めたときも早速情報を伝え、そのおかげでNHKが奈良田に来たそうだ。

 一番右に写っている女性の母親に三味線の先生になってもらった。その方は三味線が上手と評判だった。NHKから依頼を受け、甲府放送局まで収録に行き、彼女の三味線がラジオ放送されたこともあったそうだ。練習は不定期で、皆で声を掛け合って集まった。三味線を持っていなかった人は、村の人や友達から借りて練習したという。奈良田追分、八幡、エンサーの奈良田独自の民謡の他、東京音頭、佐渡おけさなども弾いた。若者同士で誰かのお宅に集まって、ご飯を食べたりお酒を飲んだりする「夜遊び」で、三味線を弾いて楽しむこともあった。冬の畑仕事やおかいこ(養蚕)がなく暇なときは毎晩のように集まって「夜遊び」をしていた。その中からカップルが誕生する事もあったそうだ。