101/山は開かれていた

早川町の人口は二〇二三年六月現在で九八七人。日本一人口の少ない「町」となっている。「山ばかりで生活も不便だから、過疎地になっている」。おそらく多くの人がそう捉えているだろう。だが、移動も通信もはるかに不便だったはずの江戸時代後期、実は早川町域の人口は今の4倍もあった。ここで大切なのは、当時の日本の人口が現在の4分の1だったことである。日本に現在の4分の1しか人がいない時代に、早川には4倍の人々-しかも幼児から年寄りまで-が暮らしていたのである。山間地は決して住みづらい不毛の地ではなかった。それどころか、多くの仕事があり、活気に満ちた社会だったのである。今回の『やまだらけ』では、古文書などからわかってきた山村の開かれた姿について紹介していきたい。