苦楽を越えた絆に安心 もらい風呂 水の無い村の助け合い


子供の頃、よく「もらい風呂」に行きました。
黒桂(つづら)集落には水の湧き出るところがありません。村人は飲み水にも困りました。
それで高い山の沢から、水を竹の“とゆ”で遠い距離をよんで(引いて)きて、村中の水タンクで集めました。そこから暇をみては、かつぎん棒を使って家の中にある大きな水ガメにためておいて炊事用に使いました。

こんなに水の尊いものですから、お風呂なども一ヶ月に1、2回位しか沸かしません。私のおばさんの家は通称「井戸端」と言う家号で通り、イドバタといって貯水タンクのそばにありました。おばさんは仕事の合間に水を汲んでお風呂に桶にためておいて、時々風呂を沸かしてくれました。

お湯が沸くと、おばさんがお風呂に入りに来いと呼んでくれます。私はさっそく手ぬぐいを持って飛んで行きます。一番先におじさん、次に従兄弟が入り、私とおばさんは三番目に入りました。
私の手は、寒い時はヒビが切れて血が出ます。その手をお風呂に入れるとお湯がしみて痛み泣き出しそうになりました。ヒビの切れた手をおばさんがしっかりつかまえてゴシゴシと洗ってくれました。

風呂から出て夕飯をいただいている頃に近所のおばさん達がきます。
「おつかりでごいす。湯をかしておくれー」と言って家の中に入り、囲炉裏に当たります。1日中汗を流して働くおばさんたちにはもらい風呂に行くのが何よりの楽しみだったと思います。
最後の人が入り終わる頃には10時半を過ぎ、後始末して休む頃は11時ごろです。

風呂桶は五右衛門風呂といって桶の底に鉄のかまがあり、その下で火を燃して沸かします。
風呂場はどこの家でも外のお便所のそばにあり、今のように風呂から出て洗うところがありませんので、その中で次々と次々と洗うからお湯が垢で汚れて白くなります。
その残り湯は、次の朝のお便所の大きな「肥えだめ」に入れて肥やしを作り、畑へかついで行きます。

月の明るい夜は、月を眺めながらおばさんからお月さんの兎の話を聞いたり、雪が降る夜は雪をとって風呂の中で食べたり、風が吹けば寒いので体を小さくしてお湯の中へ座って温まりました。

そのおばさんも既に他界し、外の風呂場のあったところは色に変わり変わっています。
そのかわり今は水道も施設され、家の中に洗い場のついた立派な風呂場が作られており、どの家でも昔のような外の風呂場は全く見当たらず、もらい風呂の風情もなくなり寂しい気がします。


参照:『ふるさとに生きた人々の暮らし』高齢者生活誌
発行:南巨摩農業改良普及所/早川町/早川町高齢者生きがい充実推進委員会


黒桂集落

住所:山梨県南巨摩郡早川町黒桂