自分でやるから賢くなる 道つくり 自分たちのことは自分たちで


 54日、午前7時半過ぎ、薬袋(みない)集落の公会堂前に、人々が集まりだした。今日は「春の道つくり」の日。集落の住民が総出で、道路や側溝の清掃をしたり、獣害防止柵のメンテナンスをしたりする。

 道つくりには、普段薬袋を離れて暮らす方たち、移住してきた方たち、古民家をサテライトオフィスとして利用している企業の社員、上流研関係者など様々な人が集まって行われている。

適材適所とチームワーク

 道つくりの主な作業は、電気柵周辺の草刈り、電気柵の補修、道路わきの草木の刈り取り、お寺の草刈り、農道と集落内の側溝の清掃を行うことだ。

 誰がどの作業を受け持つかは、毎回区長が決めて割り振っている。例えば、草刈りには動力式の草刈り機を使うので、扱いに慣れている人。農道と側溝の清掃は、ベテラン勢を監督役に配置し、体力に自信のあるボランティアなど若手中心に。誰に何ができるのか区長がしっかり把握し、それぞれの作業が、阿吽の呼吸で行われていく。

道つくりの場で「伝える」・「伝わる」こと

 今回の道つくりには、小学校低学年くらいの男の子が父親と一緒に参加していた。父親の真似をしながら、一生懸命働いている。道具の使い方など、教わるのではなく真似をして学んでいる。周りの大人も、その子を足手まといとして扱うのではなく、一人前として扱っている。大人に混じって働くその子の顔が、なんとも誇らしく見えたのは、私だけだろうか。道つくりを通して知らず知らずのうちに、知恵や技術が周りの人たちに伝えられているのだ。

 そう考えると道つくりは、暮らしの文化や集落の歴史が伝わってゆく場所でもあるのだ。

集落で暮らすことのエッセンス

 道つくりを体験し、道つくりに「集落で暮らす」ということのエッセンスが詰まっているように感じられた。それは、「自分たちのことは自分たちで」という精神であったり、お互いの得意分野を知っている顔の見える関係だったりする。

 道つくりには、移住者やボランティア、子どもたちもかかわっている。そうやって繋がっていく。伝わっていく。長い時間、世代を超えて続くということもまた、集落の暮らしを作り上げる大事なもののはずだ。

 道つくりは、集落環境の整備という意味でも大事だが、それと同じくらいみんなで作業することの持つ意味が大きいことを感じた。

やまだらけ81号「道つくり」より>