2000〜3000m級の山々を分水嶺に持つ早川の本来の水量はものすごいもので、「甲州一のあばれ川」とも称された。特にその川を挟んでの行き来は、対岸を「向嶋」と呼んで、距離はほんの僅かであっても意外なほど少なかったようだ。実際に架けられた橋が流されることもたびたび。そんなときは下を川がゴオーゴオー流れている上を、対岸まで張られたワイヤーに取り付けられた、写真のような「吊りこし」に乗って渡った。
川を渡るのも一苦労だった。丸太橋は吊り橋へ、そして自動車の普及とも相まって、より屈強なものへと変化していく。鉄骨の橋ができたときには、みんながその完成を喜んで“交通の生命線”などと呼んだ。
◯早川町誌
◯『めたきけし』09
◯フェルケール博物館、『もうひとつの塩の道』
≪前の記事
早川運輸会社 次の記事≫