先人の教えに希望を見る 早川流域の集落 太古の神話から近代の矛盾まで


早川流域最奥の集落である奈良田は、甲州全体を含めた四周の方言と異なった言語が用いられていた点で「言語の島」とも呼ばれる。そう聞くといかにも隔絶と閉鎖によって独自の発展を遂げたようにも思われるが、実態はそうではなさそうだ。

奈良田で歌い継がれる独特の民謡の中には、飛騨から越中・加賀にまで及ぶ方面から、北方信州を介して伝わってきたものがある。江戸時代に杣や曲物職人から伝えられたものだろう。それもしっかり土着化して、『遠いところだによく来てくれた、さぞやぬれつら笹の葉で』(「八幡」の歌詞より)と、ドノコヤ峠で行き来のあった芦安村からの客人を迎えた情景が歌われている。早川町の歴史に、記録上では最初に陽が当てられた旧奈良田村は、鎌倉時代初期にはすでに存在していたと考えられている。孤独な地域が、長く住み継がれるはずがない。

一方、「甲州一のあばれ川」とも呼ばれた早川本流沿いには、洪水の心配からもとは荒れ地で、人が棲みつくようなところではなかったものが、水力発電開発による流量減少や堰堤整備、護岸工事技術の向上などにより、この100年足らずのあいだに様変わりして近代的な集落に発展した場所もある。早川という川で関連付けられた、この山あいには、太古の神話から近代の矛盾まで、それぞれの時代が基層を成すような集落が混在している。中には伝説は消滅してしまっているものの、落人によって開かれた集落もあるかもしれない。

 

 

〇『秘境・奈良田』
〇西山村誌「総合調査報告編」