先人の教えに希望を見る 高い企画力と経営能力 かつての山村は、国際的で開かれた世界


この山あいの小さな町に点在する一つひとつの集落は、他郷へは山また山を徒歩で越えるよりほかに方法はなく、なぜこのような地域に人が棲みついたのか、と思うかもしれない。確かに隔絶の感はあるが、しかしそれは平地人が山地を自ら行くときの苦労を思い浮かべるからであろう。山村の人々は、必要なときには自由に外の世界と行き来しており、実際にはかなり広範囲にわたる情報交換や交流、出稼ぎがおこなわれていた。

木材需要が大幅に伸び、その多数が江戸に集中した時代には、早川入り生え抜きの材木仲買いの請負人として、尾崎源次郎や斎藤茂平太が目覚ましい活躍を見せている。伐採事業は甲州のみならず、より遠隔地から伐採・運材職人を呼び寄せることも多く、複数の村あるいは村人との交渉や協力を必要とする場合もあった。そしてそれが商品である以上、材木は必要とする土地に送る必要があり、受け取る材木商や発注者との関係、運材にまつわる中継地の問屋、さらに多量の材木を河川に流すために、役所の許可も取らなくてはならない。御用木などの大切な材木の場合は、洪水で川を流送する材木が散乱してしまうのに備え、流域の村々宛てに、見つけた場合の処置等も役所から指示される。林業という事業全体を考えた場合、それは決して山奥にこもっていたのでは成り立つ仕事ではない。高い企画力と経営能力が求められる。かつての山村は、むしろ国際的で開かれた世界であったのだろう。

 

〇フェルケール博物館、『もうひとつの塩の道』