先人の教えに希望を見る 早川の峠1/峠を通い営む生活 食べ物、道具、何でも運ぶ


山の暮らしは、山の上の道によって支えられていた。

集落同士の結びつき、各地域の言い伝え、焼畑などの工事、水場など、生活と結びついた各種の資源は、道が繋いでいたのだということを考えれば、古道を知ることがかつての生活を知ることであるとも言える。(鳥の目虫の目vol.1)

かつて早川町内と周辺町村を結んだ道は、ほとんどが現在の「南アルプス街道」と直結する峠道。現在のように車が入れるような道路の無かった時代は、人々は重い荷物を背負ってその峠を越え、近くの集落や町と交易・交流をおこなっていた。

早川町からは、木炭、薬草植物(キハダ等)、繭、下駄材などを町外へ持ち出して売り、町外からは菓子、塩、麦、油、魚などを買ってきていた。峠の頂上で交換をおこなうこともあった。

奈良田(ならだ)と増穂(ますほ)とを結ぶ丸山林道の最高地点が池の茶屋峠(ちゃやとうげ)。今は丸山林道を車で通行することができる。

増穂町に入ったところの「ぬたの池」という池の近くに茶屋があり、トロッコが通る前頃まで、増穂町の人と奈良田の人が物々交換(荷替)をしていたそうだ。奈良田で作った下駄・曲げ物・天秤棒などの木工品を運び、塩や乾物等の生活用品を得る。

池の茶屋峠に至る途中には、「うっ越し」という場所がある。荷替をしていた頃は、ここを越えることは、道のりを把握する目安のひとつであった。峠からの帰路、奈良田がすぐそこに…そんな思いの中でこの場所を越えたことだろう。

 

(めたきけし12号「池の茶屋峠・うっ越し」より)