自分の住む土地の歴史をご存じだろうか。先人たちがどんな想いでその土地に暮らしてきたかを考えてみると、その土地への愛着も湧いてくる。早川町では、石碑や遺構、写真や古文書などで昔の様子を垣間見ることができる。

●手づくりで確保した水路

大島集落は町内で数少ない米の産地。稲作で用いる水は、大勢の人手をかけて造った手づくり水路で確保していた。この水路、雨畑川より蕨平を周り、県道の土手脇に及ぶ長さ1kmをわずか十ヶ月で掘削したもので、当時の人々の苦労は想像を絶する。

→水路開削の碑。「大島の渠は、単に唇を湿さず、生命を全うし、荒田を灌漑する」と記してある。

 

 

 

●米作りの夢を叶えた水路


この水路は、雨降りや日照りのたびにその様子を見に行くなど、みんなで大切に管理していたそうだ。昭和38年雨畑川上流に雨畑ダムが建設され、雨畑川の水が使用できなくなるまで、大島の人々の生活を支える重要な役割を果たしていた。
短い日照時間、水温の低い雨畑川の影響で、苗代に手間のかかる早期栽培を取り入れるなど、決して稲作に適した土地とはいえなかった大島。米づくりの夢を叶えた水路は、先人たちの想いの結晶とも言える。

 

 

 

 

●苦労して叶えた米作りを今なお守り続ける

過疎高齢化が進む現在でも、大島集落では農地を荒らすまいと多くの方が稲作に取り組んでいる。水源は変われども、先人たちが苦労して整えた「米がとれる」環境を大事に守っている様子がうかがえる。
そういった先祖に想いをはせながら、受け継いだものを守る、土地に愛着を持つ事の尊さを教えてくれる。

やまだらけ49号「大島集落徹底解剖」より>