船による運送会社としては、富士川本流でおこなわれていた「富士川舟運」が歴史も古く有名だが、富士川支流の一つである早川では、明治29年に設立された「早川運輸会社」の記録が残っている。船着き場の一つである保村(現在の保集落)は物資も集まって賑わいがあり、「川の都」とも称された。旧「都川村」の名前の由来である。
さて荷物を運び入れた舟は、早川を下っていくときには、もちろん川の流れに乗るわけだが、逆に川を上ってくるときには“船頭”と呼ばれる10人くらいの人たちが川岸から引っ張り上げていった。引っ張り上げる“船頭”さんの多くは、首と脇と背中、それぞれに大きなコブが3つあり、そのタコが勲章代わりだったようだ。
“船頭”さんたちが足に履いているのは「足半(あしなか)」と呼ばれる、つま先だけの草履。踵がないため小回りが利き、泥はねが少なく、隙間に小石がはさまりにくい、といった利点のほか、水の中でも滑りにくく、鼻緒の軸が太くて足の指でしっかり掴むことができるため、踏ん張りが効くのだという。
◯早川町誌
◯『めたきけし』09
◯フェルケール博物館、『もうひとつの塩の道』
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