春の訪れ。山間の厳しい冬を経て芽吹く、やわらかい命の息吹に、人々の胸も膨らむ。台所はやたら忙しくなり、活気に満ちる。
豊富な春の食材をどう調理しようかと、わく わくする女性陣。(ある山菜が)あそこに出ていたとか、今年はあれが早いとか遅いとか、会話にも自然と花が咲く。
スーパーで食材を探すのとは全く異なる、山の宝探し。宝探しと言っても、あてずっぽうに歩き回るのではない。どこに何が生えているか、穴場はどこか、地域に暮らす人たちは、驚くほどよく知っている。風の向き、陽当たりの具合、山の湿度、空気の流れ、自然の恵みを暮らし全部で享受するのだ。
春先の山菜に共通するのはアク、そして独特の苦み。
『アク抜き』なんて、どうやって思いつくのだろう? 昔は食べ物が貴重であったことや、知恵をこらして食べ物を確保していった、人類的な歴史の重みに思いを致す。素敵な山のお宝レシピは、そこで生き抜く、遠い先代から引き継がれてきた食文化の知恵にほかならない。思いを馳せれば、いつもの「いただきます」の言葉がさらに愛おしく感じるというもの。
次々に芽を出す山菜や野草を、摘んで処理して調理する。飽食の時代、わざわざ手間をかけて作らずともよさそうなものだが、それでもこうしなければ、山の春ははじまらない。どうしても作りたくなる味、食べたくなる味なのだ。
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