かつて早川町内では、集落から遠く離れた山の奥まで耕作していた。焼畑もあった。そういった畑で作った麦や雑穀が、米の少ない時代の主食であった。
当時の食生活の話の中には、様々な「粉」が登場する。小麦、ソバ、アワ、キビ、ヒエ、モロコシ、サツマイモ、大豆に小豆。
それらは、かつて各集落にあった「車屋」「挽き屋」「搗き屋」などと呼ばれる水車小屋で脱穀・製粉された。粉になった麦や雑穀類は、麺になったり団子になったり、焼かれたり蒸されたり……。
こういった料理に対して、当時を生きてきた人たちの評価は「それしか食べるものがなかったからね」あるいは「毎日食べさせられて、いやだったよ」というのが一般的。そんな中、「小豆粥がおいしくて好きだったよぉ」と話す、茂倉(もぐら)集落の阿部那加子さんに出会った。
小豆粥ってどんなもの?
百聞は一見に如かず。「そんなにおいしいのなら、ぜひ食べてみたい」と那加子さんにお願いし、再現してもらうことになった。小豆粥を通して、山人の知恵の詰まった食文化、「粉食」に迫る。
40年もしないよ
今回、小豆粥を作って下さいと頼んだ時、「今は車屋がないから(小豆を挽けないので)作れないよ」と言われ、粉はこちらで用意するので、ということになっていたのだ。「とろ火で時間かけて煎ると小豆のうまみが出るですよ」というアドバイスを思い出しながら、前日に小豆を煎って、粉にした。
二人が粉をなめる。
「ちぃと若くねーけぇ?」「そうさなぁ、ちぃと若いなぁ」
花子さんが、「小豆粥はもう三十年も四十年もしないよ」と言いつつサツマイモを切る。
「四つくれーに切るけー?」「おお、そうだな、四つくれーだな」
鍋にたっぷりのお湯が沸いた所に、サツマイモを入れた。
味が重なって味が出る
那加子さんがそこに取り出してきたのは塩。
「塩を入れるんですか?」と尋ねる取材班に、「塩入れな、味ねぇら?」
その通り。小豆とサツマイモと聞いて、取材班はてっきり甘い料理だと思っていた。食事だったので塩味の方が好まれたということに加え、かつては砂糖が貴重だった、という事情もあるようだ。
サツマイモが柔らかくなってきた所で塩を入れる。
「ちょっとなるい(薄い)ら、まだ」と言う花子さんに、「なるい方がいいよ」と那加子さん。
花子さんは「みんなの味が重なって味がでてくるからね。塩と、さつまの甘みと、小豆の香ばしい味とね」と言う。
完成!そして試食
いよいよ小豆の粉を入れる。昔、水車小屋で使っていたというふるいを那加子さんが持ってきた。それを使って鍋全体に粉をふるい入れる。
箸で混ぜていると、全体がぽこぽこと沸いてきた。
「ねぇっつら(煮えたでしょ)」「生しくはないな」「固くなるぞ」
二人で「いいか」「いいな」と出来を確かめ、ついに小豆粥が完成!ほんの二十分程度のスピードクッキングだった。
最後はみんなで試食。
小豆の味と塩気が、サツマイモの甘さに合っておいしい。昔は茶碗に三杯は食べたという。
今回、小豆粥を作ってもらって、それは、少ない材料と時間でいかにおいしいものを食べるかという知恵とともに、山で畑をしていた頃の苦労や喜びが小豆粥に詰まっているからではないかと感じた。
<やまだらけ5号「粉を喰らう 〜山村の粉食文化〜」より>(取材:柴田彩子)