奈良田の民謡の中には、飛騨から越中・加賀にまで及ぶ方面から、北方信州を介して伝わってきたものがある。いつ頃伝わってきたかは定かでないが、江戸時代にこの地方の杣や曲物職人と交流があったのは事実である。それらの唄もしっかり土着化して、『遠いとこだによく来てくれた、さぞやぬれつら笹の葉で』(「八幡」の歌詞より)の情景は、ドノコヤ峠で行き来のあった芦安村からの客人を迎えた様子だろう。閉鎖性だと考えられたこの山の村の人たちの、古くからの交通や交流、ひいてはもっと広い視点からの文化の伝播について、勘案する手だてともなりそうだ。
奈良田は曲物職人も暮らす良材の産地で、各家庭には手作りの三味線があった。特に曲物は、池の茶屋峠を利用した行商が盛んな時代には、塩などの生活必需品を得るために生産した商材の一つであった。製品となるほどの技術が備わっていたことから、奈良田の里は木地屋が住み着いた土地だという考えもあるようだが、奈良田で歌い継がれる独特の民謡の伝播に伴うものであったのかもしれない。
集落での集まりとなれば、自然と演奏が始まり、その場にいる者は踊り出す、奈良田の唄と踊りというのは、そういうものであった。近代化によって人が減っても、地元サークル「白樺会」によって、唄と踊りはなんとか継承されてきた。近年ではUターン・Iターンの若い家族が活動に加わって、悩ましかった三味線の後継者も育ち、平成30(2018)年には、過疎高齢化などの影響により開催されなくなっていた、白樺会で執り行ってきた恒例行事の盆踊りが復活し、その後も途切れずに続いている。
〇『やまだらけ』No.94
〇西山村誌「総合調査報告編」
〇深沢正志、『秘境・奈良田』